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ユルタ思考回路

ヽ(・∀・)人(・∀・)ノ

パソコンのない世界

世間一般のITスキルってどんなもんなの?ってツイートのまとめをみて面白かった。

コマンドプロンプトは、まぁ普通はいじらないよねと思うけど、フォルダの概念がわからないとか、ダブルクリックがわからないとか、面白かった。

今はスマホでほとんど事足りるから、PC使ったことないとか普通なのかなと思う。スマホ使うのにPCはもう必須じゃないから、一生スマホだけで十分、パソコンなんて触ったことない、みたいな人もいるんじゃないかな。

でも、まあ、ガラケーの時代からPC使えない人はかなり多くいたと思う。何回か長文のメールをやりとりした後に「携帯でメール作るの大変なので、会って話しませんか」と言われたこともあったなぁ。それもおじいちゃんではなく20代の子であった。

 

パソコン使ってる人って今も昔も実は少ない気がする。

 

そう考えるとガラケー時代にミクシィがあれだけ流行ったのも凄いことだなーと思う。あれPC専用だよね?もしや、あれってガラケーでもやれたの??そういえば大学の先輩が携帯を必死に叩いていたような…。

最近も「iPhoneにCDの音楽入れるのどうするの?」って聞かれたから、iTunesってソフトをダウンロードするんだよ、って答えたら『ネット繋がっていない』って言われて驚愕したことがあった。

これまた普通の20代の女の子である。

 

スティーブジョブズがIT製品を車にたとえて、『パソコンはダンプカー、ダンプカーは無くてはならないけど、全ての人に必要なわけではない。誰でも使いやすい乗用車やバイクが必要』的なこと言ってたけど(うろ覚え。確かiPad発表時)、正にその通りだと思う。

たぶん多くの人はガラケーとかスマホくらいのIT製品で十分で、パソコンは普通に生活する上では必要ないんだよねー。

そういう私もプライベートでパソコンを使うのはゲームする時かブログ書く時くらい。あとはスマホで十分だし、スマホの方が楽。当然コマンドプロンプトなど叩きません。

 

パソコンのない世界。

異世界のようで、実はそっちの方が一般的なんじゃないの??

一万円ステーキからみる、Twitterの特性と可能性

ステーキ炎上問題、「勘違いして炎上してる奴なんなの」で片付けるのは簡単なんだけど、もっと考えるとこれってTwitterの特性なんだと思う。

Twitterは140文字しか一度に投稿できない。

それはどうしても、背景や文脈から切り離されて、言葉足らずになってしまう。背景から切り離されて断片化した情報は、エラー(勘違い)が引き起こされやすい。曖昧な情報は、読み手が読みやすいように補完しながら読むから、読み手の心情が投影されやすいんだ。

で、その補完によって、もともと言いたかったことからテーマがずれる。

今回の例で言うと、じいさんはただ「価値観違うね」と言いたかっただけなんだけど、炎上奴は「老害に説教されながら食事ありえない」とらえてテーマにズレが起きた。

 

でもこれって、書き手にしてら厄介な事かもしれないけど、視点広げて見ると面白い可能性だと思う。

今回のステーキ炎上も、じいさんの意図をみんなが汲み取っていたらここまで拡散される事はなかっただろう。「老害と食事」というテーマに変性したおかげで、ここまで人の注意を引き拡散されたのだと思う。そのおかげで「老害と食事」というテーマについて他の人が語り合う事ができる。これはTwitter全体にとっては価値のあることだと思うんだ。

だってこのテーマのズレが生じなかったら、こんな事考えなかったんだよ。俺も。

炎上した本人にとっては災難だと思うけどね…。

 

この現象って、遺伝子の進化過程に似てると思うんだ。

あるテーマをツイートすると、エラーが生じて、テーマが変性する。で、変性したテーマが話題性が強いものであれば、多くの人がフォローし生き残りさらに拡散される。

Twitterの海に、投げ込まれたツイートが、テーマを変性しながら、弱いテーマは消滅し、強いテーマは生き残っていくイメージ。

強いテーマはより多くの人の心に(良い意味でも悪い意味でも)刺さり、より多くの人の元に届き、形を変えて再発信される。

そこでまたテーマのエラーが起きて…

というように、Twitterの情報エコシステムができてるのかなと思った。

 

だから一概に「炎上ダメ」とか「ソース確認しろ」とかは思わない。背景から切り離されることで面白いエラーが起こる。それも含めてTwitterなんだと思う。逆に言えばそれがTwitterの限界なんだよね。だからTwitterでは精密な議論は無理だよなーとつくづく思った。

 

もちろん、だからといって「暴言」は許されない。

それは大前提としてあるけれどもね。

 

ちなみに、このブログの記事も、思いついて連続ツイートしたものを再編集したものです。再編集してみると、やっぱり言葉足らずになるよなーという事がよくわかりました。

参考までに、元のツイートもそのままの順番で貼り付けておきますねー。

一万円のステーキか三千円の現金か→じじいと炎上奴

ことの流れ

とくだね「一万円のステーキを食べるか、三千円の現金をもらうか。どっちがいいねん?若者よ」

 

若者「三千円!三千円!現金!現金!」
 
とくだね「ほう…リアルステーキみてもそういえるかね…」
 
一万円ステーキ「肉汁じゅわーーーーー!」
 
9人の若者「やっぱステーキ!やっぱステーキ!」
一人の若者「ワシは三千円でカラオケ行きたいんや・・・」
 
視聴者じじいツイート「驚いた!食に興味が無い?不幸だろ!」
 
Twitter炎上奴「じじいと食事したくないだけ!」「そんな世代にだれがした!」「老害!」
 
じじい無双発動「貴方方にいい時代もワルイ時代も、選ぶのは貴方方です」
 
傍観奴「じじい、やるな・・・」
これ面白いね。
ユルタ的面白ポイント
①断片的な情報で早とちりして炎上するTwitterというメディア特性
②若者が最初に現金チョイスしながら、実物みたら乗り換えた
③テレビ見てるじいさんと、テレビ見てない炎上奴
④じじい無双
 
面白いテレビ企画と、テレビとTwitterのメディア比較、若者と老人の価値観の違い、キャラ立ちじじい…と色々な要素が絡まって、まるで上質な推理小説のように楽しませて頂きました。
 
これだけで、いろんな視点から考えられそうねー。
今度やってみよー。
 
 
参考サイト↓


1万円ステーキツイートで世を騒がせたお爺さん(83)の受け答えが半端じゃなく力強かった - Togetterまとめ


一万円のステーキ騒動、その事情 - Togetterまとめ

暇とクリエイティビティ

どうも、お久しぶりでございます。

 

最近、慣れない仕事をちょっとしたところから引き受けてしまって、忙しくてこのブログの存在を忘れておりました、ワタクシです。

 

で、その仕事もやっと一段落ついて(ホントに辛かった、もう)、また暇になったので、ネットサーフィンとかマンガ読んだりとかしてたら、「ああそう言えばブログ放置してたな・・」と思い戻って参りました。

 

それで思ったのは、「何か新しい事を始めよう」とか「なんかやってみようとか」とかそういう気持ち、大げさに言うと創造性・クリエイティビティって、ヒマじゃないと出てこないんだな、ということ。

 

まあ私の場合、いくら忙しいと言っても、一日中仕事をしている訳ではなくて、寝たり、おいしいモノを食べたり、ゲームしたりは普通にしてたんです。

ただ「ヒマ」ではなかった。やること、やりたいことがここ数ヶ月間はずっとあった。

 

少しでも時間があれば、ゲームしようとか、ゲームしようとか、しょうがないから仕事するかとか、ゲームしようとか、いっぱい予定が埋まっていたのです。

(ゲームはもはや私のライフワークなので、暇つぶしではない。私のゲーム観についてもいつか書きたいな)

 

で、そうすると、何か新しいモノを始めてみよう、とか、面白いモノを探してみようとか、もっと楽しくなるにはどうしたらいいだろうかとか、そういう気が起きなくなってくるんですね。

 

だって、やることあるんだもん。そりゃ、わざわざ別の事考えないよね。

 

でも、それって今振り返ってみると、なんか損してるように思ったんです。

世の中には、まだ知らないことや、楽しいことや、あるいはこれから自分で創りだしていけるものが、沢山あるはずなのに、目の前にあるものだけにしか目が向かないって、損してるなーって。

 

これって自分の人生に対して思考停止してる状態じゃね?とまで思ったり。

 

いや、仕事とか、ゲームとかしてる時は、思考停止してないんですよ。

むしろ思考フル回転で、やってます。仕事もゲームもね。

 

でも、それだけじゃないじゃない、今見えてるものだけじゃないじゃん。

今見えていないものに、目を向けようとすることがクリエイティビティの始まりだと思うんです。

なんとなくだけど。太字にしといた。

 

でも、忙しいとどうしてもそれがおろそかになっちゃう。

しかも、やるべきこと、やりたい事、を一生懸命にやることって、なんか正しい気がするからたちが悪い。だから、それで良いのかなとか、思っちゃう。

でも、それって、いや損じゃね?と思ったのです。

 

だから、意識的にヒマな時間を作る必要があるんじゃないかと思ったんです。

なんかいつか読んだ、ビジネス系の記事か本で、トッププレイヤーは「何もしない時間」の予定を作る、って書いてあったけれども、あーこれそういうことか!と思った。

 

暇って何気にすごく大事なんじゃないかな?

 

でも、その一方で、暇になると焦りも出てきますよね。

「こんなに暇にしてていいのかな?」みたいな。

もっと仕事したほうがいいんじゃないかな、なんか遊んだ方がいいんじゃないかな、みたいな。

そういう焦りに突き動かされて、なんか無駄に自己啓発書を読んだり、たいして楽しくないような遊びの予定を入れてしまったりすることも、何度もありました。

暇を無駄にしていました。

 

だから、これからは、「暇でもいーじゃん、いや、むしろ暇必要じゃん!」というスタンスで暇を謳歌しようと思います。

 

ブログは私的に良い暇の使い方かなーと思います。

普段思ってることも、整理できるし。

 

ああ、だから、暇って人生のチェックポイントなのかもしれませんね。

AppleWatchで変わる未来

 

最近、iPhone6とAppleWatchの発表があって、感化されてAppleブログまで作ってしまったyulutaです。ご無沙汰しております。

 

そのブログで、ここにも合うかもと思うものを書いたので、転記しておきます。

 

AppleWatchがあると、どんな未来が待ってるかっていう話です。

 AppleWatchが発表になって、私が一番期待して興奮しているのはここです。

 

  『AppleWatchは、iPhoneの簡易化』

 

どういうことか。

 

iPhoneを使うときに必ずしなければならない事があります。

そして結構手間なこと。

 

それは「iPhoneを取り出す」という作業。

 

これが地味に面倒くさくて、不愉快なんです。

でしょう?

 

例えば、両手に荷物を持って歩いている時、ポケットのiPhoneがなんか通知してる…

 「誰だ?気になる…でも、荷物持っているし、片手でこれ持てるかな、いや1回立ち止まって荷物置くか」

…みたいな。

 

で、なんとか苦難して見てみるとFacebookの【この人、知り合いじゃありませんか?】メール。しかも全然知らない人。 (」°ロ°)」 オーイ!!

…みたいな。

 

ね?嫌でしょ?

こういうのが、何気に度々あるんですよ。

 

 

でも、これがAppleWatchがあれば、腕をサッと見るだけで、ほとんど今の行動を邪魔しないで確認出来る。

これってiPhoneスマホ)が生活にこれだけ密着している今、地味だけどかなり便利だと思うんですよ。

 

メールの通知だけじゃありません。

今日の天気の確認、地図、カレンダー・toDoリストの確認、音楽アプリの操作、電話、簡単なメールの返信(音声認識でもボイスメッセージでも)、機内モードなどの設定…などなど。

 

さらに最近は、iPhoneで家のテレビやエアコンや照明を操作できるハウスなんちゃらというのも出るそうで、「iPhoneで操作」では、「ふーん」って感じでしたが、これが「腕時計で操作」となった途端「便利か!おい!」と卒倒しそうになりました。

 

リモコン探す必要ないんですよ、いつも腕についてるんだから。便利か!

 

 

AppleWatchは、iPhoneの出張所ですよ。

 

あるいは大きな病院に行く前の町医者ですよ(わかりにくい例え…)

あるいはスーパーに行く前のコンビニですよ

あるいは…もういいか…

 

とにかく、iPhoneを使うまでもないことを、AppleWatchでより手早く簡単にやったらいいじゃない!ってことです。

 

 

これ、何かに似てませんか?

 

そう、パソコンが簡易化されて、iPhoneiPadにとって変わられた流れと同じです。

確かジョブズiPadを発表した時に「全員にダンプカーが必要か?」的な事を言いました。

 

それと一緒。

 

iPhoneを取り出すまでもない場面はAppleWatchで十分やん。

しかも、そういう場面って、意外と多いんとちゃうの?

 

みたいな。

  

だから、iPhoneの出現でパソコンに触る機会がかなり減ったように、

AppleWatchの出現で、iPhoneに触る機会もかなり減るかもしれません。

 

 

こう考えると、AppleWatchって世界を変えるかもしれない大きな発明かも、と思えてきます。

あのホールを使ったのも、なんか納得。

 

 

コンピューターを手のひらに、から、コンピューターを腕に。

 

 

AppleWatchの発売が楽しみです。

 

低学歴の世界から高学歴の世界に行くと友達がいなくなるとは限らない、っていうか友達関係に学歴とか関係ないでしょって話し

昨日、こんな記事をみた。 

低学歴の世界から高学歴の世界に行くと友達がいなくなる 外資系OLのぐだぐだ

親も友達も低学歴であれ、という社会で
低学歴の世界から高学歴の世界にいくということは
たいていの場合親と友達を全員一度捨てること

 あと、その中で、リンクされてる白木屋のコピペも印象的だった。

有名な白木屋のコピペというのがある。
もともと白木屋で飲んでた男友達2人のうち
かたほうの社会階層が変わったせいで
白木屋でずっと飲んでる友達つ付き合っている
正社員の男性が心苦しくなるお話なんだけど
あれは実際、低学歴の世界から抜け出そうとすると頻繁におきる。

 

まあ、こういうのはあるよねー。私にも思い当たるところがある。

 

でも、その友達に会いたくて飲むんだから、別に店はどこでもいいじゃんと思う。

 

ただ関心がある話題が合わないというのはあるよね。

 

それでもバカ話をして笑えるのは楽しいんだから、それでいいじゃん!

 

だからね、高学歴の世界に行ったら低学歴の世界の人間関係は捨てなくちゃいけないってのは、ちょっと極論だと思う。

一緒にいて心地よい関係だったら続く、続けたいと思う、それだけだよね。

 

高学歴か低学歴かなんて、人間関係の上では、昔好きだった趣味が合わなくなったくらいのもんだよ。

趣味の話はもう出来ないかもしれないけど、他に色々話すことあるじゃん。

話しててお互いに楽しいじゃん。

 

ただ自分を向上させるって目的の上では、低学歴の世界の友人と話すメリットは決して多くはないとは思うよ。

 

でも、人間関係はそれだけが目的じゃないからね。

たまには白木屋の不味い酒飲みながらバカ話して笑うのもいいじゃん。

 

そういうゆるさがね、人生を豊かにすると思うんよ。

 

※追記 

ちなみに「低学歴」「高学歴」という言い方はどうも好きになれません。

意味的にも的を得てないように思うし。

むしろ「低所得」「高所得」って言う方が妥当なんじゃないのかな?

 

ノシ

いじめの「恥ずべきこと」

少し前に書いたエントリ「なぜいじめられた人は助けを求められないのか」を考えてみませんか? - Yulutaのブログにコメントを頂いて、さらに思った事があったので書いて見ます。

 

いじめや、いじめ対策についての私の意見については、前のエントリをみてくださいねー。

 

前のエントリでも書いた通り、いじめられる事は不名誉なことです。

多くの友だちが自分を嫌っていて酷い事をしてくるなんて、恥ずかしくて誰にも言えません。

 

でも、よくよく考えてみると、いじめられる事は「恥ずべきこと」ではないように私は思うんです。

 

たとえ「恥ずべきこと」ではなくても、恥ずかしく思うことは当然ありますし、それが悪いとは一つも思いません。

 

けれども、「恥ずべきこと」は何か(=何を恥ずかしいこととすべきか)を、しっかりと考え、理解することは、理性を持った人間が使える強力な力の一つだと思うんです。

 

私は、イジメは自然災害のようなものだと思っています。

 

どんな生き物だって、狭い空間に大勢で閉じ込められれば、イジメが発生します。

水槽の中の金魚も、小屋の中のニワトリも、カゴの中のハムスターも、

必ず一匹がターゲットにされて、ボコボコにされます。

 

イジメは、どんな生き物にもある性質の一つなのです。

発生するのが普通で、発生するのに理由なんてありません。

 

いじめる側は「うざい」だの「空気が読めない」だの理由をつけるかもしれませんが、そんなのは攻撃するために選んだ後付の理由に過ぎません。

 

鬱積した感情をただ動物的にぶつけているだけなんです。

 

だから、イジメのターゲットにされる事は「恥ずべきこと」ではありません。

たまたまターゲットになっちゃっただけです。

たまたま台風が直撃したのと同じです。

台風が来たら嫌だけど、恥ずかしくはないでしょ?

 

じゃあ、いじめの「恥ずべきこと」はなにか?

 

それは、「いじめること」です。

 

イジメは発生するのが生き物としては普通です。

でも人間はただの生き物ではありません。

 

理性をもった生き物です。

 

どんなに嫌な事があっても、イライラしても、人間としてやっちゃいけない事があるんです。

それを理性で制御できずに、動物的にいじめてしまう

人間以下に成り下がる

それは人間として「恥ずべきこと」だと思いますよ。

 

ノシ